帰宅直前、神々しい夕陽の道。
2024年6月13日
朝5時30分出発で西宮へ。父親通院のため。
竹野から西宮への道のりは最後の最後までずっと田舎道。故に退屈しない。丁寧に工夫された畑、「そうすれば良いのかー!」と目に焼き付けるが、真似しようとすると結構手間がかかるため結局実現できないことが多い。でもきっといつか役に立つ。とても美しく草が刈ってある場所を見るたび、汗を流した人を思い浮かべる。お会いしたことはないけれど同士だ。逆にボーボーに繁っていたりすると、人手が足りていないのかなぁなどなど。稲と稲の間にたくさん草が生えてきている田もたくさんあって、直接関係ないけれど焦る。そして相変わらずお地蔵さんには目が行く。何度も通っている道だけれど、これまで見つけられていなかったお地蔵さん、結構見つかる。
病院、大きな病院は全く異世界で、僕にとっては不思議なことが多く忙しい。
たくさんの体の具合が良くない人たちと妊婦さんが同じ空間にいる。全員マスクで顔を覆っているので、妊婦さんも具合が悪そうに見えてしまう。
現場の人たちは高齢の方に話しかける時、なぜか幼児を相手にしている時と同じような口調で話しかける。「子ども扱いするな!」と怒り出すんじゃないだろうかとヒヤヒヤしたが、そういうことにはならなかった。
テレビモニタに、「薬」に関しての注意点がまとめられたスライドが流れている。「薬」と書かれていたり「くすり」と平仮名で書かれていたり、「お薬」だったり「おくすり」だったり。スライドは何度も同じものがループで流れているので、どんな意味があって表記が分けられているのか、分類して考えようとしてみたけれどさっぱり分からない。
たくさんの患者さんが順番を待っている。4ケタの番号で管理されており、順番が来たら番号で呼ばれる。でも時々「お名前で失礼いたします。〇〇〇〇さんいらっしゃいますかー?」とフルネームで呼ばれる人もいる。確かに、順番を待っていると4ケタの番号はすぐに忘れてしまう。僕も父が握っている番号が書かれた紙を見て覚えたつもりだったが、番号が呼ばれる度にあれ?となり、父の握る紙に目をやる。でも、診察が終わりお会計の時はフルネームで呼び出される。お会計の時は番号で呼ばれない。さっきまでの、「お名前で失礼いたします。」は何だったんだろう。どのあたりが失礼だったのか、さっぱり分からなくなる。
父の検査結果は良好で、先生は「気にしなくて大丈夫」と言う。次回の診察は半年後で良いと言われた。でも父の姿を見る限り短時間でも歩くのがやっとだし、気にするしないの問題ではなく、日々どうすればこの状態を少しでも改善につなげられるのか、その方法を知りたい。でもどうやらそれは、リハビリ専門のところへ相談しなければならないらしい。なるほど意味は分かる。分かるけれど、どうして色々なことに精通した現場監督みたいな人がいないんだろう?モノつくりの現場では必ずそういう人がいて依頼主に寄り添い、各所の専門家を繋ぎ統括し解決していくんだが…謎だ。出会えていないだけなのかな?知識が全くないので急ぎ勉強しなくちゃ。「お薬手帳」という小さなノートは各所を行き来している様子。
妹の家により、妹の娘が学校から帰ってくるのを待つ。前日そういう要望をいただいたので待つ。娘の妹のランドセルに装着されたGPS端末から発せられる位置情報を、妹のスマートフォンで眺めながら待つ。寄り道が多くなかなか帰ってこない。最近は道中にあるビニルハウスの中で育つトマトの成長を楽しみにしているらしく、確認によらねばで忙しいらしい。その気持ちよく分かる!
やっと帰宅した妹の娘は、「さー!宿題しよ!」と言った直後、全く関係がない絵本を手に取り読み始めた。玄関前では、一緒に帰ってきた同級生が妹と話をしている。同級生、「おじさんの顔が見たい!」と言うもので、僕は玄関まで移動し「はじめましてー!」と声をかけた。僕の姿を10秒間程じーーーーっと眺めた直後、「思ってたのとなんかちがう。」と口をとんがらかして言った。