外側、内側、お互い様。

2024年6月28日 終日雨。海はベタ凪。

豊岡劇場で朝9時15分から上映の映画を観に行くということで、8時半前に出発。梅雨にしては蒸し暑さが足りない気がするけれど、梅雨らしい雨。もう少し梅雨らしく降ってくれないと、水不足になってしまう。

↑ コレ観てきた。世代は違うけれど、両親をはじめ同じ世代を生きてきた人たちと接する機会が多かったもので、間接的にかなり影響を受けていることは間違いなし。ということで、「あぁなるほど、そういう流れだったのか。」と理解が深まることが多く勉強になった。あと、「そうやって録ると、ああいう音で録れるのか。」といった学びもあった。いい勉強になった。

ただ、エンドロールが終わった時に感じたのは、「すっごく疲れた」だった。新しいモノやアイデアは常に、外国を筆頭に『外側』にあって、それをずっとずっと追いかけて凄い作品を生み出す。そして上質で高級で評価を得ているモノを求め続け、凄い作品を作る。そういう時代であり、そこに大きなエネルギーが渦巻いていたんだろうな。音楽で関わった先輩たちと接していても、多かれ少なかれ同じ「におい」を感じてきた。その頂点みたいな人が彼なのかなぁ。そんな風に感じた。

僕が生きたいなぁと思っている姿や求めているところは、おそらく真逆なんだ。映画に同調していると空っぽになってきて、とても疲れた。

外側を追えば内側を見ることになるし、内側を追求すれば、内側にあるものは外からいただいたものなので、きっと同じことなんだろうけれどもなぁ。節分の豆まきを思い出す。「福は内、鬼は外」なのかその逆なのか、「福は内、鬼は内」ってうたう地域もあるらしい。単純に凄い人すぎて圧倒されただけなのかな。きっとそうだ。いやいやいや、自分と比べてみるみたいな恐ろしいことはしないので、わかりませんわかりません。何だったんだろう。

もちろん彼の音楽は大好きで、今日も映画館の音響で胸が躍る瞬間たくさんあったんだ。ありがとうございました。


帰路、狩猟の師匠の家により、小動物用の箱罠をお借りした。「我が家の畑を守るのだ、恨みを晴らすのだー!」そんなことを言いながら帰宅。帰宅と同時に、「まぁ、先方も相当僕たちには恨みがあるよねぇ。食べてるもん。」なんて話をして、「お互い様ですね。」となった。本当はキュウリ泥棒に恨みなんか抱いていないんだ。