祖母は巨人ファンだったらしい。

2024年7月11日 雨のちくもり。涼しい。

雨だし「よろしくお願いします。」と制作依頼メールが届いたままの案件がたまっているもので、書斎へこもる。なのだが調子が出ないむむう。合間合間で本を読んでみようと思ったところ、なぜか祖母が書いていた日記に手がのびた。

片付けをしているとあちこちから日記が出てくるもので、まだ整理もしていない。たまたま今日手にとったものは平成14年(2002年)の12月23日からのもの。祖母が74歳の時。色々と日々のことが綴られている。耳が聞こえないこともあり、とにかく寂しかっただろうなと思う。この頃は小林家も大混乱の真っ只中で、日々の暮らしが特に大変だった。この時自分に何かできただろうか?と考えてみるが、なかなか難しい。同時にこの頃の祖母の気持ちが分かってくると、両親筆頭に顔が浮かび気になってくる。家族は近くで暮らすのが本当はいいんだろうなぁ。

以前ちらっと読んだ頃は映像が浮かばなかったけれど、今は毎日通う畑、買い物に出かける商店は同じだし、地名、登場人物も分かるようになったので興味深い。

部落で何か大事なことがあった場合、耳が聞こえない祖母は”放送があった”ことは分かる様子で不安になる。そんな時に駆けつけて字を書いて教えてくれていたのは、今お手伝いしている梨や葡萄畑の方。

草刈りが大変な場所、そっと刈っておいてくれる人がいる。今その人は70代になり腰を痛め….僕が草を刈っている。

単車の調子が悪くなった時、相談したら来てくれて工具を出して調整してくれる人。この方は少し前に脳梗塞で倒れ、現在リハビリ中。

などなど、祖母を助けてくれていた人たちみんな今は60代70代80代で、僕のことも気にかけてくれ、暮らしていきやすいように暖かくしてくださっている。そして僕はなんとなく流れで、みなさんができなくなった肉体労働をしている。もちろんお礼の意味も込めて。

なんとなくやっている労働は、世代を超えて助け合っていく素晴らしいシステムで、このシステムが機能しなくなってきている昨今。ギリギリそのシステムに参加できていることが分かり涙が出た。このシステム、この先も機能するように考えていかねば、僕が困ることになる!なんてこった。

あとやはり寂しいのはよくない。どんどん弱り、何をするのも億劫になる。でも日によって、今の僕から見れば本当に小さな楽しみであったり、人から少し感謝されたり、そういったことでとても元気になり、畑仕事に力が入ったり家事なんかも楽しくなることが分かった。これは大きなヒントで、僕にはまだまだできることが沢山ある。小さなことを日々やっていこう。

しかし、祖母が巨人ファンだったとは知らなかった。負けると「別に縁もゆかりもないので、勝とうが負けようがどうでもいいんです。」と書いてあるが、買った日は「スカッとした」と書かれていた。笑