さようならmacOS。

 2024年10月9日 曇り。海は荒れている。肌寒い。

 猫との車移動二日間で、当然起こるだろうなぁと思っていた猫トイレ問題。この場所はトイレだと前向きに思い込み盛大にやってしまう問題は終盤で起こり、車内もついに慣れ親しんだ臭いが充満している。幸い、そういったこともある程度想定していたので、洗ってしまえばどうってことないようにしてはいたので、朝から思い身体を引きずりながら対応していった。

 古いPCにKona Linuxをインストールし、大半の作業をKona Linuxで行うことにも慣れてきた。でも横にmacOSが使えるようにしてあるもので、慣れた作業やそこそこのマシンスペックが求められる作業ではついつい、macOSに戻ってしまう。

↑Kona Linux UIのデザインが好みではないけれど、古いPCでも快適に動く。大半の作業で困ることはない。

 macOSは本当に楽しくて大好きで、Apple製品はデザインから何から本当に大好きだった。一時期は所謂「中の人」としての仕事も楽しくやっていたくらいに好きだった。でもなんだか「使って何かを作る」道具から「知らない間に使わされている」道具にすっかり変わってしまった。OSや各種ソフトウェア、そしてハードウェアそのものが常にアップデートアップデート。アップデートの度に使えなくなるものが出てくる。どんどん便利になっているようで、だんだん自分で何もできなくなっていく恐ろしさ。何でも独りで作ってしまえるような錯覚に陥る恐ろしさ。そういうのから一刻も早く離れたくなり、MacBook Proはすっかり初期化しLinuxのZorin OSをインストール。本当はLinuxの数あるディストリビューションの中で一番多いUbuntuが何かと使い勝手がいいのは使ってみて分かっているんだけれど、雰囲気が好みではないという理由でZorin OS。

 結局ターミナルを立ち上げ、コマンド入れて対応していかなければいけない事も多いけれど、それも楽しい。本来コンピュータとはそういうものだし。時期が来たら、タッチパネルのスマートフォンもやめてしまおう。タッチパネルは結局使いにくいし、今の生活には合わない。操作するのにいちいち軍手を外さなきゃいけなかったりするのが厄介だ。