2024年12月24日。
朝5時出発で西宮へ向かう。父の通院2件。大きな進展を期待していたけれど、検査のためまた別の大きな病院へ来月行くことに。なにより、今日はこれまでで一番父が苦しそうな上、立って歩くことが度々困難だった。僕と妹で支えて歩くが、一緒に転倒してしまうこともあった。そしてなんとか父の家のベッドの上へ送り届けたは良いが、この状態この状況でこの場所に父を置いて帰るしか選択肢がないことが理解できず、とても苦しかった。
その後、帰りが遅くなってしまったので、妹の子どもたちを迎えに行った。西宮の街を走ると、父が設計した家をたくさん見かける。この街には父の作品がたくさん展示されている。胸やら目やらが熱くなった。
妹と子どもたちを家に送り届けてから、六甲へ向かった。夏の間海の仕事で一緒になる友人が、かなり落ち込んでいる様子でずっと気になっておりようやく会うことができた。どうしてこんなに優しくて責任感の強い男が、こうも追い詰められ苦しまねばならないのか。抱えている状況の大きさは分からないけれど、似た経験をし苦しんだことがあるので胸が痛かった。でも、そこから更に落ち、どうやって今に至ったのか話したり、全く別の道に飛び込むことができる方法を伝えた。なんとなく、それが僕の役目で出会い今日ここへ導かれたように感じた。彼がどうするのかは分からないけれど、頑張らなければならないと傷つけ続けるのをやめて、しっかり休んで欲しい。
その後、父や彼の気持ちを想うと涙が止まらなくなりつつ、伊丹へ向かった。親友宅に集まり楽しく呑んでいる真弓さんをおむかえに。久しぶりに心が通う仲間と集まり楽しい時間を過ごせた様子が一瞬で分かり、よかったなぁと思った。そして、親友の旦那さんが大事にしていたオーディオ一式を僕に引き継ぎたいと仰って下さっていたので、ありがたく車に詰め込んだ。昭和55年、はじめて勤めた大阪の会社でいただいた初めてのボーナスで購入したサンスイのアンプ筆頭に一式。僕と同じ年齢のオーディオたち。大事にします。
一緒に真弓さんと呑んでいた長田在住の仲間も車に乗せ、長田まで送迎したあと竹野へ帰宅。23時半を過ぎていた。今日は色々な感情で忙しかった。