2025年8月1日。晴れのち曇り。北風。午後より波が出てくる。
5月3日の北前まつり以降、日記は毎日下書きしてあるもののパソコンの前に座る時間がほぼなく、あっても制作業務優先となり公開するに至らぬまま8月になってしまった。まぁ別にだからといってなんの問題もないけれど、相変わらず激動の日々で毎日駆け抜けるように生きているので、細かいことをどんどん忘れてしまう。もはや我が身に記憶にないことを覚えていてくれて、ふと教えてくださったりする人がいたりすることもあり、はてはてそんなことがあったかと今日も思うことがあった。だから日記が大切だとは全く思わないし、忘れるものは忘れても問題ないんだけれど、ひとまず本日より日記を再開させつつ、下書きもちょこちょこ公開しようと思った。
真弓さんの母上、弟一家、妹の娘の5名が本日まで滞在。朝は朝食の準備で大忙しだった。そして昔一緒に仕事をしていた親友が家族で昨日竹野入り。10時に休暇村チェックアウトということで迎えに行き、濱須井の我プライベート磯で3時間強泳いだ。泳ぎだした頃は快晴だったけれど、昼過ぎからここ最近見たことがなかったくらいに空が雲で覆われ、少し涼しくなった。雨が欲しいなぁ。親友から10年以上前の僕の話を教わるが、記憶にないことばかり。そして昨年の夏の話も教わるけれど、かなり覚えていない。まぁ、あの時も一生懸命それなりに精一杯だったんだなぁと聞いていて思った。その後、親友一家と別れ、真弓さん一家ともさようなら。また来年。
16時頃より田んぼへ。穂が出揃ってきた。そしてちょこちょこ取り残した稗が長く伸び穂を出している。稗、取らなくちゃなぁと思っていたら、お手伝いしている田で、それはそれは稗が出ている稗だらけの田があり、その田を先に片付けないとということで…稲刈り鎌を片手に長く育った稲の森へ顔を埋め、稲と稲の間や稲に密着して育った稗を刈り進む。延々と終わる気がしない作業ではあるけれど、無心になってただただ刈るのだ。そして気がついた。この作業は手で稲刈りをするよりも何倍も大変。これができるなら…
18時頃で切り上げ、奥須井で準備中の畑に行き、作業するわけではなく持ち主と玄関先で30分程会話。畑は畑で使えるようになればいいけれど、それはあくまでも口実で、大切なのは顔を合わせて会話することなのだ。