しなるように落ちるところ。

 2025年8月14日。とてもいいお天気。暑さが戻った。

 朝6時より盆踊りの準備開始。自治会の倉庫から櫓の柱やら床板などなどを軽トラック数台に積み込み運ぶ。そしてそのあと、大工さんたちの指示に従い皆で組んでいく。特に図面などがなく、誰かの記憶と「北東」とか「1」「2」など書かれている情報を手がかりに、やいやい言いながら組み立てる。これは2年前に、波田野州平「海やまのあいだ」取材にも同じようなことが度々あり、プラモデルの説明書みたいなものを作っておけばいいのになぁと思っては、きっとそういうことではないんだろうと腑に落ちる感じだったのを思い出した。やはり、そういうことではない。

 3時間も要さずに立派な櫓が建って、提灯をつけたりと着々と準備が進む。作業開始した頃は涼しかったけれど、途中からはかなり暑く汗が沢山流れた。

 一旦帰宅し妹一家と食事を済ませ、妹一家は海水浴へ。そして昼過ぎ、妹一家は帰っていった。妹の娘はお別れが寂しい様子でベソをかいていた。思い出すと、昨年もそうだった。まぁ、また数日後には父の通院で出た時に会うんだけれどなぁ。

 16時頃より、真弓さんの浴衣着付けに励む。こんなことに挑戦したことがないもので、何度も何度もやり直し。今夜一緒に三味線を弾くメンバーにとてもとても慣れている方がいるので、その人にお願いしよう!と昨日までは言っていたけれど、やはり丸投げでは成長がない。可能な限りまずは自分たちでやってみようと四苦八苦。なんとなくそれっぽくは仕上がったけれど、現場入りしてからきれいに修正いただいた。

 18時過ぎより音響の準備を進め、軽く音出し。そして19時半開始予定だったけれど、もう少し早くはじまった。21時半頃まで音頭止めることなく。櫓の上から眺める円運動は何とも不思議。そして多くの方が踊りに来られホッとした。担当の三味線は交代制でということになっていたけれど、どういうわけか休みたいと思うことがなかった。あっという間に終わった。

 盆踊り、信仰が深かったりそうでもなくなったり、弾圧されて消えかけては復活したり、形を変えたり戻ろうとしたり…盆踊りってなんなんだろう。まだ良くわからないけれどかなり気になるようになった。あと、三味線を弾いてはいるけれど、拍の捉え方が僕は違ってる。拍の後ろにしなるように落ちるところにアクセントがある様子。もっと古い邦楽にふれていこう。

 観光で来られたのであろう外国の方や、竹野で暮らし働いておられるムスリムの方々も、一緒になって踊っている姿を櫓の上から眺めた時、全く違和感がなかったことが強く胸に残っている。