現物支給と地蔵の話

日帰り神戸の日。

車の中にたくさん亀虫が入っており、丸々神戸へ輸送することに。
竹野で暮らしていたクサギカメムシ達…街での暮らし大丈夫かな。
気の毒に感じつつ、運転中に顔に向かって飛んでこられたりすると危ないもので。
しかし、「亀虫」なんて歌を生み出してしまう程、亀虫に思い込んでしまったので、突然目が合った時はタラバガニくらいの大きさに感じてしまうようになってしまいまして、結構大変なのですよ。


ギターの師匠宅へ行くと、「現物支給!」と言われて、グライコやスタジオ用の電源等々をいただいた。
そして「レコーディングした方がいい」というメッセージをここでも。
最近よく、音源が、きちんとプレスした音楽CDがあった方がいい、ないとはじまらない。ということが多くなってきたので、時が来たようなので頑張ろう。


そのあと「ろんぱり」のリハーサルを2時間。
新しい創り方の欠片を見つけられた気がする。


帰路の車内で運転中、ずっと地蔵について頭を巡らせてしまうことに。
偶像のひとつ、信仰の対象だと思っていたけれど、なんか違うぞ…とこの夏から違和感を感じていた。
ひとつの僕なりの答えが見つかってしまった。
学の世界からは全否定される馬鹿馬鹿しい答えだけれど。

ただ、困ったことに…ちょっとした石が地蔵に見えるようになってきたことと、ふとした時すぐに地蔵のことを考えてしまう、おかしなことになってきた。