「稼ぎ」と「仕事」

井戸のそばにも猪が荒らした痕跡が。

2024年8月20日 晴れ。凪。この夏は本当に雨が降らない。7月24日早朝の雷雨以降、まともな量の雨がない。畑は喉がカラカラ、だけど雑草は生茂る不思議。

昨日の移動疲れで身体がとても重いので、ひとまず書斎にこもっての作業を優先。そこそこ古くなってしまったMacにスペック上快適に動くバージョンのOS、アプリケーションもその頃のものからアップデートせずに使うようにしているのに関わらず、ここのところ動作が重い。特にAdobeのアプリケーションとFinal Cut Pro Xが重くて話にならない。次の環境を構築せねば。

ふと新しい曲のネタ帳を開いてみたら、知らない間に10曲以上記録されていた。録音したことも忘れていたものが殆ど。ゆっくり向き合って仕上げ録音し、それからライブで演っていく。そんな動きに変えていきたいものだなぁなどと思ってみた。

ふと出てきた歌詞を書き残しておいたり、気になったことを書き残しているメモに、大事なことが残されていた。

日本の村では「稼ぎ」と「仕事」を使い分けていた。
「『稼ぎ』とは、生活に必要な現金を得るための労働であり、他にもっと良い収入が得られれば、ただちに乗り換えても構わない。それに対し、『仕事』とは、世代を越えて暮らしを永続的につないでいくためのもの」というのである。

この「仕事」の場には、「神」が祀られている。
「かつては村ばかりでなく、町場の商家や職人、町人の家や仕事場にも『神々の居場所』が設けられていた。『仕事』とは、人の力のみでは成就しないものだと考えられていたからだろう。
人が自然の力に身を委ね、互いの力をうまく引き出し合うところに思いがけない『はたらき』が生まれてくる。これが仕事の本領なのだと気づかせてくれる。『稼ぎ』は人間関係の中で成立するが、『仕事』は人のみではなし得ない。」

「仕事」というのは、単に金を稼ぐための労務のことではなかった。それは、「神々」、すなわち「自然」と人の共同体とが協働して、ある循環構造を継承するための半ば聖なるプロセスだったのである。

読んだ本の引用だと思うんだけれど、どの本に書いてあったんだろうか。かなり腑に落ちて、それで今の暮らし方に変えていくきっかけになった一文だったように思う。