情報過多な日。

 2025年2月21日。しっかり雪。

 朝4時に起きお弁当(朝食)の準備をし、5時に出発。今日は父に来週施される手術に関しての説明を聞きに西宮へ。今回も結構な雪で視界が悪い。慌てて出発したもので車の屋根の上の雪を下ろすのを忘れており、途中でどさっと落ちてきてワイパーが動かなくなる。以前乗っていた古いサンバーだと、顔がつるんとしているので、そのまますとんと地面に雪が落ちるが、エブリィバンはそうはいかない。すぐに停車できればいいけれど、なかなかそうもいかず怖い思いをする。慌てていても、屋根の上の雪を下ろすの忘れないようにしなくっちゃ。

 ただ、固まりやすい雪質の場合は、走行中でもワイパーが雪を圧着してしまい同じ状態になる。雪が多いところでは…少しこれ不便なデザインだなぁ。


 6時過ぎ頃、山東町でお弁当を食べトイレ休憩。ひとり若い男性が沢山の荷物と共にとても寒そうにしているのが気になる。気になりつつ車内から、こんな時間にこの極寒の中何をやっているんだろうか?と観察しつつ、あたたかいお味噌汁をいただいていた。他に車もないし危険な気もしてきたので声をかけてみた。そしたら、日本一周の旅を自転車で行っており、豊岡駅前で一旦中断し自転車を置き茨城県の自宅に戻るところだと。そして大阪へ向かう車を探していると(ヒッチハイク)。なんとこの極寒の中、9時間待っていたそうな。すぐに荷物と彼を車に乗せ、暖房を最強にした。

 疲れが出て僕も眠くなってきていたので、西宮までの道中、話し相手がいるのは心強い。話し相手どころか、ずっとずっとこれまでの旅の話を聞かせてくれる。出会った素敵な人、景色の話、怖かったことなどなど。諸事情があり尼崎まで送迎しお別れ。無事、茨城に到着できますように。そしてまた豊岡からの旅の続きを楽しめますように。


 そんなこんなで遅刻しそうになったけれど、約束の10時30分きっかりに病院に到着し妹と合流。麻酔科、耳鼻咽喉科と手術の説明を聞く。手術をすれば良くなるばんざーい!というものではなく、声と嗅覚を犠牲にして誤嚥のリスクをなくすというもの。とても前向きな気持ちになることができる内容ではないが、仕方がない。


 昼過ぎに病院を出て、妹が昔働いていた町中華のお店へ行きお昼ご飯。とても懐かしい味。忘れていた味だったけれど、色々どっと思い出した。


 食後妹を送り届け、14時まで少し休憩。そして竹野へ向けてまた走る。16時から先日収録したラジオ番組の放送があったため聞く。遠阪トンネルを出て雪景色に変わる時に「死者の声」が流れていた。我がことなのに胸が熱くなった。この一時間番組、どれくらいの人が聞いてくださったのか、どう感じられたか分からないけれど、なんだか面白いし面白いことになってきたなぁと思った。純粋に嬉しかった。

 18時半前に帰宅。19時半から真弓さんは城崎国際アートセンターでの演目の鑑賞へ。僕は部落の役員会議へ出席。21時頃から夕飯の準備をし….今日は本当にくたびれた。


 これにも参加したかったんだけれど、時間が被りすぎて叶わず。。。。そして1日で色々なことが起こりすぎて処理が追いつかない。