2025年8月20日。晴れ。
夜中、いつもと扇風機の風が違う方向から流れてくることが気になったり、猫だと思ったら枕だったりで、変だなぁと思うことが多かった。母の家で眠っているからなんだけれども。
5時頃起き、母は朝食を用意してくれた。昼食など食べる暇がないことはそれとなく伝わっており、夕方まで持つようにとかなりの量がちゃぶ台に並んだ。かなりの量を並べておきながら、僕がきれいに平らげると「この量、どうやったら胃に全部入るん?」と驚かれた。確かに、20年前は朝食など食べることなく大阪のオフィスビルの中でMacの前で仕事をし、昼食はかけそば一杯で…終電間際まで残業したりしていた。当時よりは随分、燃費が悪い暮らしになったんだと思う。
妹を迎えに行き、父が暮らす豊中の施設へ。そのあと介護タクシーに皆で乗って西宮の大病院へ到着9時半。レントゲン撮影があり、予約は10時だったが…待って待って待って診察が終わると正午だった。待ち時間が長いと父の体にはかなり負担で、足の色が紫色になってくる。車椅子の角度を度々変更し、ずっと足裏マッサージを。
診察結果は待ちに待っていたものだった。前回の入院時に腸捻転があり、それから絶食を命じられてきた。ようやく自由な施設に入居できたものの、食事は基本禁止。液体は問題ないので酒はどうぞご自由に。という状態だった。そんなわけで、点滴のみで様子をみながら、うどんのお出汁のみ、お味噌汁具材なし、少しペースト状の介護食…と試していた。往診に来る医者からは「触らぬ神に祟りなし。食べたら死にますよ!」ときつく言われ、何もしてくれない日々が続いた。でも、腸の状態の変化、本人は気がつくもの。今のこの状態で通院でここまでたどり着くのは大変だったけれど、頑張ってよかった。どういうわけか、「勝訴」と書いた紙を手にテレビカメラに向かって走りたい気持ちになった。父が暮らす施設に戻り、丁寧に接してくださっている看護師さんに報告すると、一緒に大喜びしてくださった。ウラー!
16時半頃に父の部屋を出、妹を送り届け竹野へ向かった。途中、お隣で田んぼをされている方から電話があり、「もう水がいらない時期に入ったと判断したので水門を止めたぞー」と。稲刈りも目前になってきた。21時10分帰宅。今日はピーター・バラカンさんのラジオ番組のポッドキャストを聞きながら走ったのであっという間だった。なにより、結果が嬉しかったし前乗りしたしで、疲れがいつもと全く違う。
チェブラーシカが、皆で頑張って子どもたちが遊べる場所か何かを完成させた時、「頑張って頑張って頑張ってウラー!(万歳)」というシーンがあって大好きなんだけれど、今宵はまさにあの感じだなぁ。ウラー!