2026年元旦。
部落の氏神さんへのお籠りで年越しを迎えた。23時半頃から、すぐ側にある部落のお寺から除夜の鐘が聞こえてくる。鐘の音が鳴る度、脳内でJohn LennonのMotherが再生されてしまうのが少々厄介だ。神さまごとだしと、一ヶ月半少々ぶりにお酒も呑んだ。よりあって、ストーブの熱で燗して、田んぼや畑の話、村の話、加齢に伴う情けない話などなど、美しい時間だった。
年越しと節分は決まってこの「お籠り」を行う。いつ始まったのか知らないけれど、ずっと続いてきた。これからも続けたいと願うけれど、近い将来「やめよう」という展開になってしまうんだろう。田畑をつくり、日々まわりの人と話をし、時に助け合い、春祭り、お盆の行事、収穫、秋祭り…そして正月用のしめ縄を作りながら思うこと…等々に関わることで、まだうまく言語化できないけれど意味がやっと分かってきた。これは本当に素晴らしい、人が助け合って生きていくためのよくできたシステムなんだ。コンピュータでいうところのOSのような。このシステムを時代の流れに合わせて上手にアップデートしていければ良かったんだが、コンピュータウィルスのような資本主義的価値観がインストールされてしまった。自由で効率が良く便利だというお利口な顔をしてシステムを破壊していく。このまま侵食されてはいけない、大切なことを思い出さなくちゃと伝えたいけれど、もう大前提が置き換えられ書き換えられてしまって、どう伝えれば良いのかがさっぱり分からない。
そんなことをぐるぐる思う元旦だったけれど、これほど新年を迎えることができる歓びを感じられたのもはじめてのこと。
尚、とても久しぶりにお酒を呑むことになったので、また元の習慣に戻ってしまうのではないかと少々心配していた。そんな心配は不用だった様子で、自分的には少量だったのに朝は立派な二日酔いで目覚めることになって驚いた。干した猪の胆囊を白湯で飲み、もう一眠りしたらすっかり気分も良くなったので助かったけれど。どうやらもう、日常的にお酒を呑む必要はなくなったし、酔いたいとも思わなくなった。そして、お酒を止めてから少し増えていた煙草…それにも急に興味がなくなった。何が起こっているんだろう?


