「おかん」という存在の巨大さ。(2)

2026年1月8日(木)

 朝5時過ぎには目が覚めた。もう少し眠りたいなぁと思うものの、武庫川沿いの道はもう自動車が忙しく騒がしく難しかった。6時頃には母が起きてきて朝食を用意してくれた。「残り物ばかりでごめん」と、魔法のような速度で準備が整う。「どうやってこれ10分で作ったの?」「これはどうやって15分で?」と問うてみると、「昨日の残り」とか「電子レンジ。あんたは電子レンジ使わないから云々…」どう考えても僕ならあと30分は要するなぁと思い、戦後の昭和期に母親という役割を果たした…「おかん」という存在の巨大さを感じながら平らげ、ご飯もお味噌汁もしっかりおかわりし平らげた。

 しかし母は会うと怒涛のように喋る。しかも結構毎度毎度同じ話を始める。「こないだそれ聞いたよ!」と言いそうになりながらも言葉を飲み込んだら、話の主人公が先週亡くなったという寂しい続編があったり、リハビリで信じられないくらいに回復してきていると聞いていた人が、その後急に意識不明で倒れたままになった…と、辛い展開になっていたりする。なんだか色々と大変だなぁと返答に困っていたら、「紅白歌合戦に出ていた最近の人、本当に意味が分からんでー!知ってる?」と。処理が追いつきません。

 竹野へ戻る道中、昨夜の鶏の唐揚(チキンナゲット)が浮いている鍋料理のことが頭から離れず、このままだと事故してしまいそうな気がしたので停車し休憩。そしたら運良く、ことばが和歌の音数におさまりニンマリ。

寄せ鍋に 鶏の唐揚(チキンナゲット) シンフォニー 度肝抜く抜く 母の味かな

「鶏の唐揚」にするか「チキンナゲット」の方がいいか決着がついていないけれど、ひとまず頭がスッキリしたので、安全運転で帰宅できた。