沈む夕日に感謝を捧げたことがありますか?

2023年12月29日 晴れ。

昨日とは全く違う身体のように快適に動く。ただまだまだ常に眠い。睡眠というのは謎が多くて興味がありますなぁ。休みはもちろんだけれど何か充電しているような感覚も。

今朝も普段通り罠の見廻りに行くがすっかりダメ。場所含め色々と考え直さねばと思うけれど、他の予定が多くて手が回らない。それはさておき、母親が帰ってきているのでもう少しなんかおいしいものを食べてもらえたらなぁと思っていたら、大きなサワラをいただいた! 炙りの刺身にしよう。下ごしらえを済ませてすぐ外出。

夏、お盆の行事の撮影でお世話になった蓮華寺で餅花をつくるということで、ご挨拶兼ねて参加。

こうして集って作業して準備して正月を迎える。これまで年末年始なんて、連休をとれる人が多く酔っ払ってなんだか浮かれて過ごす、せいぜいそんなものだった。一年糧を得て色々な経験をいただいて暮らすことができたことは奇跡的で、ありがたいこと。丁寧に感謝を表現する素敵な時間。僕はまだ自分の暮らしに導入できていないけれど、少しつづ導入していこう。インスタントではない正月をお祝いできるようになれますように。

その後、某書道塾の見学へ林地区の公民館へ。

素晴らしい「寺子屋」だった。色々な学年の子どもたちが入り乱れ、自由に課題をこなしていく。いいなぁ僕も一緒に机を並べたいんだがなぁ。僕たちが教育を受けた「学校」より「寺子屋」の方が未来があるように思う。現代版寺子屋。

終わりに先生、「これから大晦日がきて正月がきます。初日の出を見に行ったり、初詣に行ったりしたことはあると思います。ですが、大晦日沈む夕日に一年ありがとうございましたと感謝を捧げたことはありますか?」と。 なかったなぁ43年間。全く意識してこなかったことを意識する視点をいただいた。

あと↑コレも三回朗読。今まではこんなことを言うと「人生そんなに甘くない」って言われたものです。そうですかと金儲けをしようとすればするほど歪になり、痛い思いをしてやっと分かったこと。

ここの公民館には、この地区に昔あったお寺の観音様…だったかな?がおられる。少し変わった公民館。
戦後、日本人から神社や寺を切り離すべく、GHQの占領政策で全国に公民館がつくられた。なんていう話を読んだことがある。昔は決め事をする時は神社や寺に集い話し合ったそうですが、だんだんと信仰のない場所で決め事をするようにさせられていったと。そして、家の神棚や仏壇から切り離すべく、若者が街へ出て家との関係が切られるように、集団就職などへと繋がっていった等々。本当かどうかはさておき、結果だけ見つめると….大成功してしまった姿がくっきり今。
でもね、寺機能が入り込んできている公民館ここにあり! 実はここだけではなく、もう一箇所知っている。これはいいぞ面白いぞ、実に頓智が効いた感じで大好きわくわくする。

帰宅する頃は真っ暗で、冷蔵庫で精肉を待っている鹿が渋滞しているので、ロースなど簡単な部位のみ作業。その後、夕飯の支度をし、3人+2猫で賑やかに過ごした。
ずっと眠かったけれど、学び多き一日でありました。ありがたいことです。