父方の先祖へ報告に。

 2024年10月23日 だいたい雨。

 昨夜ふと、「父方の先祖へ結婚の報告に行きたいな」と思い、寝起きから兵庫県美方郡香美町小代区貫田へ向かった。若い頃は先祖や親戚とのお付き合いというのを避けがちで面倒なものだと思っていた。それは間違っていたと今は感じている。先祖が墓にいるとは思わないし、遺骨等に意味があるとも特に思ってはいない。でも、暮らしの残像みたいなものから感じたり繋がったりできる大きな力はあるように今は思うし、そいういう意味では何もないより墓のひとつでもあった方が、地球で肉体を持って暮らしている分にはいくらか分かりやすいと思ったりもする。

 竹野から貫田へ行く時は、半ば儀式のようにコインスナックふじで昭和のめん類自動調理販売機のうどんを食べることにしている。おいしいんだよなぁ。

 新しいお墓。お花持ってくればよかったなぁと言ってみたのものの、周囲は鹿の痕跡だらけ。持ってきても餌になるだけか。

 古いお墓。

 家までの細い坂道。おばあさん、折りたたみ式の携帯電話くらい腰が曲がっても、この坂を登っていた。雪の時はよく滑る。

 家。縁側でおじいさんと肥後守で竹とんぼを作って飛ばしたり、薪を割って風呂を焚くときの匂い、雪の時家の裏にかまくらを作って遊んだとかどわっと記憶が蘇る。この家での暮らしを幼少期に味わえたことはとても大きいと思う。同世代でこの暮らしを体験したことがある人は少ない。

 朝、顔を洗う時の水がとても冷たく、顔を洗ったあとに矢田川の流れの音を聞きながら眺めるこの景色が大好きだった。矢田川で父親と川魚と手づかみしたり、水生昆虫を捕まえたりも楽しかった。

 周囲の景色、大きくは変わっていなかったけれど家はかなり傷んできているし、周囲も空き家になり荒れている現状もあった。美しい棚田だった場所も耕作放棄地になっていたり。でも、新しい動きもあり、スミノヤゲストハウスができてから、そこを中心に明るい動きがどんどん広がっているという噂を耳にする。半分は貫田の血が流れているし、スミノヤゲストハウスにも近々お世話になってみよう。

 取れぬままの疲れが蓄積されてきているので、せっかくだし温泉保養館 「おじろん」により温泉に浸かった。露天風呂でゆっくりしながら、浜坂から来たというおじいさんと1時間弱会話。実に楽しかった。またお会いできるといいな。

 お湯を堪能すると、コインスナックふじのうどんがどこかに消えてしまったので、あゆの里矢田川でお蕎麦を。

 あゆの里矢田川の本棚には、読みたい本がたくさん。

 帰宅後、狩猟の師匠からのお誘いに乗ってみたところ、よく分からぬままえらい悪路を走りすごい場所へ誘われた。

 海岸沿いとはまた雰囲気が異なる流紋岩の雄大な景色。他にも面白い地層、石がいっぱい。このあたり、まだ頭も知識も追いつかずだけれど。黒曜石の兄弟みたいな石もたくさんあったので、いくらか持ち帰った。ナイフ、作ってみたいなぁ。

 この場所は10年程先には高速道路のインターチェンジになる予定。崩落の危険があるので、この景色は壊され破壊され見ることができなくなる。

 夕方帰宅し、食事の用意をする気力がないなぁと思っていたら、ご近所さんが大きな豚カツできたての豚カツを差し入れしてくださった。そしてnanairoのCDが欲しいと、「亀虫」が聴きたいと言われた。年内にCDを作ろう!という動きも中断してしまっていたけれど、再開せねば。年内は流石に無理だけれど。