久しぶりのアーメン。

 2025年2月24日。やや雪のち曇り。時々晴れ間あり。

 昨夜も随分と雪が降っている様子だったけれど、海岸沿いは然程積もらず。内陸部や山間部が結構なことになっている様子。もう移動疲れがすさまじく全身が痛く重い。そして寝起きから眠い。今日はお寝坊させてもらおうと思った矢先、呼び鈴が鳴った。船着き場で鹿が死んでいるので対応して欲しいとのこと。この場合は僕の仕事ではないんだが、ひとまず着替えて現場へ。

車道からも鹿の姿を認識できた。

一本角の雄鹿。痩せておらずしっかり肉がついている。一体何があったんだろう?

眼球はカラスに食べられており、肛門付近を食いちぎられ、腸も一部食べられている。狩猟で捕獲された個体ではないことも確認できたので、県の管轄になるだろうということで、ひとまず役所勤めのそのあたり詳しい友に電話。なんとこの場所は「漁港」扱いなので市の管轄になるとのこと。今日は雪が多く山に入っての埋没処理等難しいので、対応は明日になるとのこと。

この場所は目立つので、車道から見えず陽が当たらない場所に移動。そしてこのままだとカラスや鳶に散らかされてしまうので(それで自然だけれど、明日片付ける人大変なので)周囲の雪を集め雪で固めた。気休めにしかならないかもしれないけれど。


 午後より、3月16日ソロで出演することになった養父ビバホールでのイベント打ち合わせに豊岡へ。このイベントはキリスト教福音派の方々が主催されているため、とても久しぶりにクリスチャン的な会話に包まれた。また違った宗派?だけれど僕はクリスチャンとしての教育をかなり受けて育ったので、とても懐かしく感じた。そして今は抜けているし思うことは色々あるけれど、今でも当時学んで大切だと感じたことは、そのまま根に暮らしているなと再認識した。結局、人知を超えた存在や力は存在するし、ひとつひとつの事象に感謝を抱くことは大切であること、そして常に感謝を抱きながら暮らしていると、必ず導きに気がつけるようになる。これは別にキリスト教に限った話ではなく、山や川や海等の自然の営みと深く接していても同じ思いになる。僕はそのように感じている。

 そして何より嬉しく有り難く思ったのは、このイベントに誘ってくださった牧師さんが「小林さんの歌は霊的ですね。」と言ってくださったこと。霊的というのはまた実にクリスチャン的な表現だけれど、とても大きな力をいただきました。そしてとても久しぶりにクリスチャンのお祈り、アーメン。